追い切りの時計は、競馬の予想材料の中でも扱いが難しい部類に入る。
数字そのものは公表されている。坂路なら4ハロン、3ハロン、2ハロン、1ハロンの通過タイム。ウッドチップコースなら6ハロンからの各通過。だが、その数字をどう読むかについては、確立した方法があるとは言いにくい。「終いが速い」「一杯に追われている」といった評価は、トラックマン以外には得ることができない情報で、多分に読み手の解釈に委ねられている。
私も最初は素直に、追い切り全体の平均が基準よりどれだけ速いかを数値にしていた。4ハロンを走ったなら、その4ハロンの平均を見る。単純だが筋は通っている。
この方法には、はっきりした死角があった。
「終いだけ追う」馬が損をする
追い切りには乗り方の違いがある。
最初からゴールまで目一杯追い続ける乗り方もあれば、途中までは抑えておいて最後の直線だけ強く追う乗り方もある。後者は「ゴール前だけ追う」「終い重点」などと呼ばれる。
後者の追い切りをした馬は、全体の平均で見ると凡庸に映る。前半をゆっくり走っているぶん、それが平均を引き下げるからだ。最後の1ハロンがどれだけ速くても、平均という計算がその鋭さを薄めてしまう。
逆に、最初から最後まで目一杯追った馬は、全体の平均が良く出る。実際には余力を残していないのに、数字の上では優秀に見える。
競馬に詳しい方なら、これは体感として知っている話だと思う。終いだけ伸びる追い切りは素質の証明であり、終始追われて出した好時計は必ずしもそうではない。その常識が、計算には入っていなかった。
違和感を、数字で確かめる
まずこの違和感が正しいかどうかを検証した。
方法はこうである。追い切りの乗り方ごとに、その馬が次のレースで予想よりどれだけ良く走ったかを集計する。もし乗り方によって系統的な偏りがあるなら、その情報が評価に反映できていないということになる。
結果ははっきりしていた。
ゴール前だけ追った馬は、予想より +4.6ポイント良く走っていた。 終始目一杯だった馬は −7.9ポイントである。
合わせて12ポイント以上の開きがある。スピード指数で12ポイントといえば、着順が数着分変わる幅だ。感覚として語られてきたことが、そのまま数字に出た形になる。
分類ではなく、測る場所を変えた
さて、ではどう直すか。
最初に考えたのは、追い切りを乗り方で分類する方法である。馬なり、ゴール前追い、一杯。三つに分けて、それぞれ扱いを変える。抑えて追った馬にはプラス補正、目一杯だった馬にはマイナス補正。
この案は採らなかった。理由が二つある。
ひとつは、同じ馬でも毎回同じ乗り方をするわけではないこと。乗り方は馬の性質というより、その日の状態や調教師の判断で変わる。同じ馬の追い切りを並べても、型としての再現性は高くない。「この馬は終い重点タイプ」と決めつけられないのである。
もうひとつは、「一杯」に該当する追い切りが全体の0.46%しかなかったこと。ほとんど出てこない分類のために補正を組んでも、全体の予測はほとんど変わらない。
そこで採った方法は、もっと単純だった。
平均を取る範囲を、最後の区間だけに絞る。
前半をどう走ったかは見ない。最後にどれだけの脚を使えたか、そこだけを評価する。乗り方を分類しなくても、これで「抑えて最後だけ伸びた馬」の鋭さを直接拾える。
どこまでを「最後」とするか
範囲は、コースによって変えた。坂路は最後の1ハロン、ウッドチップコースは最後の2ハロンである。
これは実際に試して決めた。効果の測り方には工夫がいる。過去の成績を持つ馬で測ると、追い切り以外の情報が混ざるからだ。
そこで新馬戦で測った。デビュー前の馬には過去の成績が存在しない。手がかりは追い切りしかない。ここで追い切りの数値と実際の走りの関係を見れば、追い切り単独の予測力を測れる。
結果はこうなった。
| コース | 全体平均で評価 | 最後の区間で評価 |
|---|---|---|
| 坂路(最後の1ハロン) | 0.070 | 0.217 |
| ウッド(最後の2ハロン) | 0.195 | 0.341 |
坂路で3倍、ウッドでも1.7倍以上に上がった。測る場所を変えただけで、同じデータからこれだけ違う情報が取り出せる。
坂路が1ハロンでウッドが2ハロンなのは、コースの性格の違いだろう。坂路は上りきる最後の1ハロンに負荷が集中する。ウッドは平坦な周回コースなので、直線に入ってからの2ハロンで見るほうが素性が出る。
なお「位置を問わず最も速い1ハロンを拾う」という案も試したが、こちらは坂路で数値が下がった。どこで速かったかには意味がある、ということでもある。
使う時点を、レース日に揃える
この作業の途中で、もうひとつ改善点が見つかった。
ある馬の追い切りをまとめて数値にするとき、当初はその馬のすべての追い切りを平均していた。素直な処理に見える。
レースの日を基準に、その時点までの追い切りだけを使うように直した。日付を揃えるだけの変更だが、効果の測り方としては本質的である。この修正で、それまでの評価に含まれていた0.056ぶんの上振れが外れ、本番と同じ条件で測った数字になった。
二つの改善を合わせた効果は、次のとおり。
レース内で着順を正しく並べる能力を表す指標が、0.4360 から 0.4517 に上がった。予測の誤差も 10.19 から 9.81 に縮んだ。
そして、ウッドチップコースの追い切りから作った数値は、モデルが参照する材料の中で上位に入る重要度を持つようになった。改良前は、ここまでの働きをしていなかった材料である。
予想ファクターは、作り方で価値が変わる
この一件から得たものを書いておきたい。
新しい材料を思いつくのは楽しい作業である。血統、厩舎、ローテーション。まだ使っていない情報はいくらでもある。
ただ、実際に効いたのはすでに持っていた材料の測り方を変えることだった。追い切りのデータは最初から手元にあった。変えたのは、そのどこを見るかという一点である。
同じことは他の材料にも言えるはずだ。手持ちの材料が、いま最良の形で使えているか。 それを問い直すほうが、新しい材料を足すより効率がよい場面は多い。
追い切りについても、まだ余地は残っている。いまは最後の区間の平均を見ているが、その区間の中での加速の付き方まで見れば、もう一段の情報が取れるかもしれない。ここは次に試したい改良のひとつである。